人気ブログランキング | 話題のタグを見る

辺境発のオピニオン


by karatsuzine
 郵政解散に端を発した衆議院議員選挙は、自民党の圧勝に終わった。「何でも良いから、とりあえず一つの改革を」という国民の思いを、郵政民営化賛成か反対かという分りやすい形で示した自民党が、今まで投票に行かなかった人々の支持を集め、大躍進を果たしたと思われる。
 しかし行き詰まっていた他の改革が、郵政後どう進んで行くのか。本当に注目して行かなければならないのはそれからである。年金改革、地方分権、財政再建。マニフェストの記述が曖昧であったし、相次ぐ失政で支持率を下落させてきたこれらの政策が、果たしてどのような展開を見せるのか。

 自民党が圧倒的多数の議席を獲得したからといって、その全てが改革派の議員で占められているわけではない。改革派の陰に隠れて、多数の族議員たちも再び国政の場へと送り出された。刺客と称して送り込まれた小泉(改革)派の議員などほんの一握りに過ぎない。改革が今まで通り遅々として進まない危険性ももちろん存在する。
 我々が郵政民営化のエサに釣られた惨めな魚たちとならないよう、これらについては進展を期待するしかない。

 しかし今回自民党に投票した国民は、もちろんそのリスクを承知した上で小泉首相を信任したのである。これは変革を求める気持ちが生みだした、”賭け”とも呼べる行動であろう。
 なぜならば郵政民営化以外の事案について、マニフェストはおろか首相の口からも具体論は聞かれず、それらの改革が進展する保証など、どこにも存在しなかったからである。
 それでも国民は小泉首相を信任した。それは、「何でも良いから、とりあえず一つの改革を」という、国民の気持ちを強く反映した結果であっただろう。

 さて、今回自民党に投票した国民の全てがそのような”賭け”に出たかと言えばそうではない。
 ”賭け”の気持ちで投票した一方で、「現政権のままで何とかなってくれれば良い」という守りの気持ち、いわば”安定”を求めて自民党へ投票した国民も多数存在する訳である。
 ”賭け”と”安定”。相反する民意を候補者は取り込まなければならなかった。双方の受け皿となった自民党が議席を伸ばした事は、そう考えると不思議ではない。

 一方で、大幅に議席を減らした民主党についてであるが、総合的に改革を進めていこうとする民主党の改革案は、平均して自民党に優っていたと思う。比例区での民主党の得票数が、小選挙区での伸び悩みに比して伸びていた現状を考えると、ある程度の評価を受けていたと考えても良いだろう。
 ”賭け”でも”安定”でもない、その中間である理にかなった”堅実”な政策。そこを最後まで有権者に伝える事ができなかった事が、大きな敗因であろう。民主党では政権は担えないという、自民党が貼り付けたレッテルを覆すほどの存在感を発揮できなかった事を考えても、今後に課題の残る結果となってしまった。

 国民の「何でも良いから、とりあえず一つ改革を」という気持ち。争点を郵政民営化に特化させた選挙戦略が、その気持ちの足下を見たものでなかったことを、自民党はこれからの政策で証明してもらいたい。
 何はともあれ選挙後の政治は動き出した。我々は国民の下した結論の中で、どのように政治が行われていくのか、注意深く見守っていく必要がある。多数問題点が指摘されていた人権擁護法案や、障害者自立支援法案など、郵政解散によって廃案となった法案も再提出される事だろう。本当の政治はこれからなのである。
# by karatsuzine | 2005-09-12 18:48 | 政治
 ご存じの方も多いと思うが、2005年6月23日の郵政民営化特別委員会で民主党の中村哲治前衆議院議員が提出した質問(議事録)、そして資料について少し触れたいと思う。

 ここでは郵政民営化の広報チラシを請け負ったスリード社が作成したあるグラフが論点となった。小泉政権の支持層を分析するグラフである。
 資料によると小泉首相の支持層を、「具体的にはよく分らないが、小泉首相のキャラクターで支持する層」と分析している。そして彼らを低IQ層として定義し、主婦層、シルバー層、子供層を中心としたこの層へのアピールを強化すべきといったものであった。
 ここで一つ指摘したいのは、彼らを”低IQ層”ではなく”政治的関心の低い層”として定義すべきであり、知能指数を測る指標であるIQを用いる事は極めて不適切であると言う事である。
 政治的関心の低い人々を、低IQという言葉で分けるという姿勢に問題があるという事だ。

 しかしなぜ今になってこのような事を持ち出すのかというと、今回の自民党の選挙戦略がこのレポートに沿って為されているのではないかと考えられるからである。

 4年間の政権運営を誰に任せるかという意味を持つ衆議院議員選挙においては、マニフェストにおいて政策を多面的に述べるべきである。
 しかし自民党は、郵政民営化イエスかノーかの単純な二択の選択を示しているだけである。社会保障改革、地方分権、財政再建等、他の改革については郵政民営化が入り口となると述べるだけで、その具体論は全くといって良いほど示されていない。

 むしろ郵政民営化さえ行えば後は全て上手くいくといったような、根拠のない郵政民営化万能論が全面に押し出されている印象は否めない。失敗した改革の総括もせずに、どうしてその改革が上手くいくと言うのだろうか?
 言うまでもないが、郵政改革と他の改革は少しは関連するものの、全く別の分野であり独自の法案が必要である。この分野について抽象的な一般論のみを述べるような姿勢では、”郵政民営化だけはするが、他の改革については前向きに善処します”、と言っているのと同じである。

 過去の失政の部分については情報を隠し、政府にとって都合の良いものだけをクローズアップする。しかも論理を○×形式で極度に単純化し、各論についてはほとんど触れない。与党の説明責任という点で誠意のかけらもないこの姿勢は、普段政治と関わる機会の少ない”政治的関心の低い層”をターゲットにしている事は間違いない。

 今まで政治に無関心だった人々を、どうやって自分達の支持者にするか。その点では今回自民党の戦略は成功したと言える。
 しかし政策云々よりも支持者が増えれば良しとするその姿勢では、マトモな政治が行われないのは明らかである。キャッチコピーだけで人を引きつけ、中身がほとんどない。これでは質の悪い商品を誇大広告で売り出すようなものである。
 このような手法は、企業が利益の追求という形で用いるには許される(決して好ましくはないが)かもしれないが、国民全体の生活に関わる政治という分野においては決して許されるものではない。

 ここで最も懸念されるのは、こういう手法が受け入れられるという前例ができてしまうと、このような手法が今後の政治の中で定着してしまうのではないかという事である。
 ブッシュの戦争、ナチスの台頭、そして軍部の暴走。こう書いてしまうと少し大袈裟かもしれないが、これらはみな大衆の支持が力を与えた事を忘れてはならない。
 権力の暴走は大衆の支持無くしては成立しないのである。そしてそこでは分りやすく理想的なスローガンを表に掲げ、裏の重要な部分には目をつぶらせる手法がとられていたのである。
# by karatsuzine | 2005-09-10 01:06 | 政治

市民の利権

 政治家による利益誘導は、時に税金の無駄遣いを引き起こす。我々一般市民には何の利益もなくても、その無駄遣いは一部の人々を潤している。この現状は果たして一政治家の責任だろうか?
 答えはもちろん”ノー”である。税金の無駄な投入によって利益を得る人々が当然存在するわけで、これまでの選挙は、一部の既得権を持つ人々が自分たちの要望を満たしてもらうため、必死に選挙活動を繰り広げてきた。

 そんな中、特定の利権とは縁遠いところに位置する一般の市民はというと、政治不信や誰がやっても同じという諦めからか、投票に参加しない人々が多かった。その傾向は若年層や、一般のサラリーマンの間で特に顕著である。
 しかしこの現状こそが利益誘導政治を横行させ、結果市民を軽視した政治へとつながっているのである。サラリーマンが増税の標的になりやすいのは、彼らの投票率が低いからだという指摘もある。確かに大きな支持母体となっている既得権を持つ人々の不満となるような政治よりも、政治的影響力の少ない(票に結びつかない)サラリーマンを狙う方が落選のリスクは少ない。

 繰り返しとなるが利益誘導型の政治家を支えているのは、既得権益を持った人々である。市民にとっては無駄な公共事業であれ、彼らの利益にかなう政治を行う事が、彼らを当選へと導いている。
 極端に言えば、無駄な公共事業を削減し、彼らの利益を損なうような政治を行えば、彼らは落選して職を失う事となりかねない。

 一方で、市民の利権とはいったい何であろうか?様々なものが考えられるが、直接生活に結びつくもので言えば、やはり福祉に代表される行政サービスを充実して受けられるという事であろう。
 それを実現させるには市民の利益を守るという立場、支持母体が一般の市民である政治家を国政へと送り出すしかない。彼らが一般の市民を支持母体とする以上、彼らは市民をおろそかにした政治を行う事はできない。もし市民を裏切るような政治を行えば、間違いなく市民の票を失い彼らは落選をしてしまうからだ。

 そんな対立候補がいないからしょうがないと言う人もいるだろう。しかし100%完璧な政治家など存在しない。10%と15%の候補しかいないとしても棄権という手段を取らず、どちらも不満ではあるが少しでもマシだと思える方へと投票するべきだ。
 そして現実には、市民のため、汗を流して職務に当たっている議員たちも存在する。政治的無関心による安易な棄権は、そういう彼らの努力を無駄にして見殺しにする事となりはしないだろうか。

 社会保険庁の年金の無駄遣いは、東京7区選出の長妻昭前衆議院議員の努力により国会という場に問題を提起した。その結果彼は市民の支持を獲得し、前回の衆議院選挙では無事二期目の当選を果たした。自民・民主を問わず、そういう政治家を市民の手で国政へと送り出す。それが市民軽視の政治が行われている現状を改善する事につながって行くのだ。
 我々の利権を守ってくれる政治家は誰か、そう言う視点で今回の選挙にのぞんでみても面白いかもしれない。
# by karatsuzine | 2005-09-06 00:21 | 政治

二つの改革

 衆議院選挙の投票日が近づいてきた。二大政党制という観点から今回の選挙の意味を考えると、自民・民主がそれぞれ示している改革路線のどちらを支持するかというところにあると思う。
 そこで両党の路線と問題点を再確認してみたい。政権与党である自民党については、その実績についても触れるので多少分量が多くなる。

 まず与党である自由民主党の案についてだが、改革路線の重点は郵政民営化にあるという立場を基本としている。
 郵政民営化による効果の一方で、我々は成果のあまり上がっていない分野についても注意しなければならない。年金制度の見直しや、地方分権の促進を目的とした三位一体の改革、そして財政再建。取っ替え引っ替え話題には上ったりはしたが、ここでは残念ながらこれといった成果を上げ切れていない。今回の選挙に当たっても総論ばかりが目立ち、今のところ具体的なビジョンは示されていない。
 年金制度に関しては制度の一元化、議員年金制度の廃止について将来実現するという程度で、時期に関しては具体的にはほとんど触れていない。会見においてもこれから議論するといった感じで、事実上先送りの姿勢を取っている。将来問題となる年金財源についてもほとんど触れられていない。
 地方分権に関する三位一体の改革においては、補助金削減のみが優先されて行われており、地方の自立に欠かせない交付税を始めとする財源の移譲はほとんど進んでいない。
 財政再建の分野においても、税金の無駄遣いが指摘される公共事業・特殊法人・公益法人等での歳出抑制は小規模にとどまっている。その一方で社会保障分野での歳出カットは着実に行われている。

 事実、官の無駄遣いの資金ルートを遮断するという意味で、郵政改革は非常に重要である事は間違いない。しかし数ある改革分野の中の一つでしかない郵政民営化だけを行うという事では、もちろん不十分なのである。郵政民営化だけを前面に押し出して、そのほかの部分は具体的には殆ど触れないといった姿勢では、他の分野の改革については興味、もしくはやる気がないのではないかと疑われても仕方がない。
 新聞広告では郵政民営化が為される事により、これらの問題も全て解決するといったような多少乱暴だと感じられる図式も示されている。確かに郵政民営化はこれらの問題に多少影響を与えはするが、最終的に改革を進めるのはそれぞれの法案である。
 
 これでは郵政民営化は”改革の本丸”というよりは、他の分野で遅々として進まない改革の穴埋めを目的とした、いわば”改革の最後の砦”という印象をぬぐう事はできない。
 そして首相の改革の方向性だけを総論として示し、各論は官僚に丸投げという姿勢は副作用として官の肥大化を引き起こしている。官僚の天下り先となっている場合が多い特殊法人・公益法人の改革が、官僚に政策を丸投げしている中でドラスティックに進んでいくとは考えにくいし、事実この分野の改革はほとんど進んでいない。社会保障削減もほとんどが官僚によって作成されたものである。

 一方、もう一つの改革路線を取る民主党の案であるが、マニフェストを見る限りでは目標の日程・数値など具体的に記してあり、与党の案よりも一歩踏み込んでいる印象がある。
 年金制度の一元化、議員年金の廃止を明記しているだけでなく、財源についても年金目的税としての消費税の導入など、年金制度のあり方についてある一定の具体的なビジョンを示している。
 地方分権においては、自治体の裁量で自由に使える交付金だけでなく、行政上の権限も徐々に移譲するといった財政以外の面での分権に関してもしっかりと触れている。
 財政再建においても、3年間で10兆円の歳出カットを筆頭に、国債発行額を30兆円に抑えるという具体的期間・数値が示されている。

 そして肝心の郵政改革においては、預金量の上限を引き落とし、資金自体を減らすという姿勢を取っている。これは資金の出口を縮小させる効果も十分に期待できる。そして膨大な資金を抱えさせたまま民間にその資金を移すよりも、私はむしろ着実であるのではと思う。

 民主党の改革案は様々な分野で具体的に記されており、一般論に終始した印象が強い自民党の案よりも改革への姿勢を鮮明にしている感がある。しかし野党という立場である以上、現在の責任政党である自民党の案と比較して単純に優れているという事はもちろんできない。問題となるのはその実行性である。
 しかし実行性はともかく、改革案に関して具体的なビジョンを公約として明記している姿勢は評価に値する。仮に政権を取ってそれが実行できなかったとしても、単純な話国民を欺いた政党として政権から転落するだけである。政治的空白を懸念する人もいるが、財政改革が急務とされている今、改革の停滞は政治的空白と同等なのではないかと私は思う。

 二つの改革路線。どちらが国民に選ばれるかは9月11日に明らかとなる。
# by karatsuzine | 2005-09-04 02:14 | 政治

CAST
大沢たかお(野崎陽一郎)、柄本明(鳥越)、牧瀬里穂(ケイコ)
監督・西谷真一、脚本・奥寺佐渡子

STORY
 野崎は、東京の何でもない営業マン。少し前に彼女と別れたばかりだ。いつものように仕事を終えて帰る途中、彼は突然目眩を起こし自転車ごと倒れ込んでしまう。病院で受けた宣告は、脳の動脈瘤。手術をしないと命が助からないし、成功しても記憶を失ってしまう可能性があるいうことだった。
 「記憶を失うという事は、今の自分の死を意味するのではないか。」失意と恐怖の中、仕事を辞め無為に日々を過ごす彼に、不思議なアルバイトの話が舞い込んでくる。初老の弁護士、鳥越と鹿児島まで一緒に旅をしてほしいというものだ。理由もロクに聞かず、彼はその仕事を引き受ける事にした。
 鳥越はかつての妻ケイコの顔を、思い出せなくなっていた。それを何とか思い出そうと、新婚旅行と同じコースを車で辿る計画を立てていた。鹿児島のホスピスで亡くなった彼女の遺品を受け取るためだけに、東京都心の国道1号線から国道3号線の果て指宿まで。一週間に渡る男二人だけの、奇妙な旅が今始まった。

※以下ネタばれ注意!※

REVIEW
 誰もが胸の中に抱える、青春の記憶。旅の途中、断片的によみがえるその風景は、何よりも色鮮やかで、圧倒的な存在感を持って輝きまくっていた。力強く萌ゆる緑、鮮烈な原色の洋服、はちきれそうな彼女の笑顔。
 人生がまだ彼のものであった頃の、かけがえのない記憶。そのノスタルジィは、彼一人だけのものではなく、失われた人間の時代、感性の時代へも向けられていたように感じる。
 見えない明日に向かって、誰もが自分の人生を切り拓いていた70年代。希望の女神が、いつも側で笑いかけてくれていた少年の夏。それより意味のあるものに、僕らはどれだけ出会ってきたのだろう?
 雨宿りしている無人駅で、鳥越が野崎に語りかける。「愛する人を見つけたら決して離してはいけない。離すとその人は誰よりも遠くに行ってしまう。」
 それは失われた青春を求めて、彷徨い続けた一人の男の言葉であった。

 現実の車窓からは、ブルーの背景を背にシステムの一部の如く、規則的に動く通行人たちが次々と通り過ぎて行く。駆け落ちした二人のささやかな結婚式を挙げてくれた、砂風呂のおじいさんおばあさんたちはもういない。詐欺師まがいのテキ屋のお兄さん、市場で賑わう人々。色々なものが消えてしまった。
 冷たいビルの群れ。見えない太陽。レールが完璧に敷かれてしまった現実の中で、黙々と生活が営まれていく現代。食事、睡眠、セックス。人間の動物的欲求の象徴であるそれらさえも、決まり切った形の中でただ繰り返されてゆく。

 大袈裟な出来事もなく、淡々と進んでゆく二人の旅。ラストシーンでは、ケイコの育てたわすれな草を前にして、それまで寡黙だった鳥越が絶叫して嗚咽する。Forget-me-not、私を忘れないでという花言葉に、「私だってそうしたかったんだ…」、と。冷静さの中に埋もれていた生の感情を取りもどした鳥越の、叫びだけがこだまする。そんな彼を前にしても、花はひっそりと咲き続けていた。

 人生のフロンティアの喪失。そう呼んでも良い現代の喪失感を、青春の喪失と重ねて表現していた一本の映画。未来ではなく、失われた過去へと続く異色のロード・ムービー。
 僕たちの心の中に咲く一輪の花。寄り添い合った恋人の親しげな笑顔は、変わってしまった現実に埋もれてしまう事はあっても、決して枯れる事なく咲き続ている。
 その花を胸に挿し、僕たちはその先に一体何を見つければ良いのだろうか?
# by karatsuzine | 2005-07-24 03:47 | 映画評論