辺境発のオピニオン


by karatsuzine

橋梁談合

 このニュースを見てショックを受けた人が、果たしてどれぐらいいるのだろうか。建設業界で働く人だけでなく、一般のサラリーマン、学生、主婦にとっても、「何をいまさら」という感が強いのではないか。それほど「談合」と言う習慣は、日本の社会に深く浸透している。
 公共事業は社会基盤の整備だけでなく、事業者の「救済」という面を持っている事を、敢えて否定するつもりはない。産業の保護・育成、そして雇用のための「救済」が必要となる場合ももちろんある。しかしこの事件は「救済」という建前を上手く利用して行われている、詐欺のようなものだと言うと、少し言いすぎであろうか。

 加えて、事業者同士が円滑に談合が行われるよう、取り決めを交わしていたことも明らかになっている。当人たちは「互助の精神」、「秘密厳守」という原則の下、徹底的に社員に教育を行っていたようであるが、これが「互助」とは、履き違えも甚だしい。「互助」とは文字通り互いに助け合う事であるが、このような犯罪においては「共犯」という言葉を使う方が適切なのではないか。
 コストを下げる事も、受注額の下落を招くという事で、敬遠されていたようだ。つまりはその業界でやっていくためには、共犯者にならざるを得ないということである。あくまで推測なのではっきりとは言えないが、そこから「造反」した者は、その業界でやっていくことは厳しくなっていくのであろう。これではどこかにはいるであろう、良識を持った事業者の方々が気の毒になる。

 談合は、何も土建屋だけの話ではない。一つ例を挙げると、政策研究を行うシンクタンクでもこの様な現状は見られるのだ。地方自治体が政策提案書を発注する場合、名目上は各研究所に各々レポートを出してもらい、そこから優れた案を選出し、落札するという形を取っている。
 しかし実態では、つきあいの長いところへ優先的に発注を行うなど、競争からはほど遠いところでこの業界も動いているのだ。しかもそのレポートが実際に十分に活用されているとは言えない事も珍しくないというのが、現在の状況である。
 そして受注者が地方自治体である以上、もちろんその金の出所は国民の税金である。

 今回の事件で考えさせられたのは、仕事が無くなるのを恐れて徒党を組み、業界の中での自分の立場を守っていくような後ろ向きな考え方から、いい加減脱却すべきだと言う事だ。競争の中へ飛び込んで、よりよい商品をつくり落札を勝ち取るんだという姿勢の中にこそ、自由競争の価値と、利点があるのではないか。
 堕落した互助の精神による税金の無駄遣いは、もういい加減やめにしてほしい。コスト高の穴埋めは、神の施しや金のなる木なんかじゃなく、税金で賄われ続けてきたのであるから。そしてそのツケは、我々に重くのしかかってくるのである。
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by karatsuzine | 2005-05-24 22:55 | 社会