辺境発のオピニオン


by karatsuzine
 郵政解散に端を発した衆議院議員選挙は、自民党の圧勝に終わった。「何でも良いから、とりあえず一つの改革を」という国民の思いを、郵政民営化賛成か反対かという分りやすい形で示した自民党が、今まで投票に行かなかった人々の支持を集め、大躍進を果たしたと思われる。
 しかし行き詰まっていた他の改革が、郵政後どう進んで行くのか。本当に注目して行かなければならないのはそれからである。年金改革、地方分権、財政再建。マニフェストの記述が曖昧であったし、相次ぐ失政で支持率を下落させてきたこれらの政策が、果たしてどのような展開を見せるのか。

 自民党が圧倒的多数の議席を獲得したからといって、その全てが改革派の議員で占められているわけではない。改革派の陰に隠れて、多数の族議員たちも再び国政の場へと送り出された。刺客と称して送り込まれた小泉(改革)派の議員などほんの一握りに過ぎない。改革が今まで通り遅々として進まない危険性ももちろん存在する。
 我々が郵政民営化のエサに釣られた惨めな魚たちとならないよう、これらについては進展を期待するしかない。

 しかし今回自民党に投票した国民は、もちろんそのリスクを承知した上で小泉首相を信任したのである。これは変革を求める気持ちが生みだした、”賭け”とも呼べる行動であろう。
 なぜならば郵政民営化以外の事案について、マニフェストはおろか首相の口からも具体論は聞かれず、それらの改革が進展する保証など、どこにも存在しなかったからである。
 それでも国民は小泉首相を信任した。それは、「何でも良いから、とりあえず一つの改革を」という、国民の気持ちを強く反映した結果であっただろう。

 さて、今回自民党に投票した国民の全てがそのような”賭け”に出たかと言えばそうではない。
 ”賭け”の気持ちで投票した一方で、「現政権のままで何とかなってくれれば良い」という守りの気持ち、いわば”安定”を求めて自民党へ投票した国民も多数存在する訳である。
 ”賭け”と”安定”。相反する民意を候補者は取り込まなければならなかった。双方の受け皿となった自民党が議席を伸ばした事は、そう考えると不思議ではない。

 一方で、大幅に議席を減らした民主党についてであるが、総合的に改革を進めていこうとする民主党の改革案は、平均して自民党に優っていたと思う。比例区での民主党の得票数が、小選挙区での伸び悩みに比して伸びていた現状を考えると、ある程度の評価を受けていたと考えても良いだろう。
 ”賭け”でも”安定”でもない、その中間である理にかなった”堅実”な政策。そこを最後まで有権者に伝える事ができなかった事が、大きな敗因であろう。民主党では政権は担えないという、自民党が貼り付けたレッテルを覆すほどの存在感を発揮できなかった事を考えても、今後に課題の残る結果となってしまった。

 国民の「何でも良いから、とりあえず一つ改革を」という気持ち。争点を郵政民営化に特化させた選挙戦略が、その気持ちの足下を見たものでなかったことを、自民党はこれからの政策で証明してもらいたい。
 何はともあれ選挙後の政治は動き出した。我々は国民の下した結論の中で、どのように政治が行われていくのか、注意深く見守っていく必要がある。多数問題点が指摘されていた人権擁護法案や、障害者自立支援法案など、郵政解散によって廃案となった法案も再提出される事だろう。本当の政治はこれからなのである。
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# by karatsuzine | 2005-09-12 18:48 | 政治
 ご存じの方も多いと思うが、2005年6月23日の郵政民営化特別委員会で民主党の中村哲治前衆議院議員が提出した質問(議事録)、そして資料について少し触れたいと思う。

 ここでは郵政民営化の広報チラシを請け負ったスリード社が作成したあるグラフが論点となった。小泉政権の支持層を分析するグラフである。
 資料によると小泉首相の支持層を、「具体的にはよく分らないが、小泉首相のキャラクターで支持する層」と分析している。そして彼らを低IQ層として定義し、主婦層、シルバー層、子供層を中心としたこの層へのアピールを強化すべきといったものであった。
 ここで一つ指摘したいのは、彼らを”低IQ層”ではなく”政治的関心の低い層”として定義すべきであり、知能指数を測る指標であるIQを用いる事は極めて不適切であると言う事である。
 政治的関心の低い人々を、低IQという言葉で分けるという姿勢に問題があるという事だ。

 しかしなぜ今になってこのような事を持ち出すのかというと、今回の自民党の選挙戦略がこのレポートに沿って為されているのではないかと考えられるからである。

 4年間の政権運営を誰に任せるかという意味を持つ衆議院議員選挙においては、マニフェストにおいて政策を多面的に述べるべきである。
 しかし自民党は、郵政民営化イエスかノーかの単純な二択の選択を示しているだけである。社会保障改革、地方分権、財政再建等、他の改革については郵政民営化が入り口となると述べるだけで、その具体論は全くといって良いほど示されていない。

 むしろ郵政民営化さえ行えば後は全て上手くいくといったような、根拠のない郵政民営化万能論が全面に押し出されている印象は否めない。失敗した改革の総括もせずに、どうしてその改革が上手くいくと言うのだろうか?
 言うまでもないが、郵政改革と他の改革は少しは関連するものの、全く別の分野であり独自の法案が必要である。この分野について抽象的な一般論のみを述べるような姿勢では、”郵政民営化だけはするが、他の改革については前向きに善処します”、と言っているのと同じである。

 過去の失政の部分については情報を隠し、政府にとって都合の良いものだけをクローズアップする。しかも論理を○×形式で極度に単純化し、各論についてはほとんど触れない。与党の説明責任という点で誠意のかけらもないこの姿勢は、普段政治と関わる機会の少ない”政治的関心の低い層”をターゲットにしている事は間違いない。

 今まで政治に無関心だった人々を、どうやって自分達の支持者にするか。その点では今回自民党の戦略は成功したと言える。
 しかし政策云々よりも支持者が増えれば良しとするその姿勢では、マトモな政治が行われないのは明らかである。キャッチコピーだけで人を引きつけ、中身がほとんどない。これでは質の悪い商品を誇大広告で売り出すようなものである。
 このような手法は、企業が利益の追求という形で用いるには許される(決して好ましくはないが)かもしれないが、国民全体の生活に関わる政治という分野においては決して許されるものではない。

 ここで最も懸念されるのは、こういう手法が受け入れられるという前例ができてしまうと、このような手法が今後の政治の中で定着してしまうのではないかという事である。
 ブッシュの戦争、ナチスの台頭、そして軍部の暴走。こう書いてしまうと少し大袈裟かもしれないが、これらはみな大衆の支持が力を与えた事を忘れてはならない。
 権力の暴走は大衆の支持無くしては成立しないのである。そしてそこでは分りやすく理想的なスローガンを表に掲げ、裏の重要な部分には目をつぶらせる手法がとられていたのである。
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# by karatsuzine | 2005-09-10 01:06 | 政治

市民の利権

 政治家による利益誘導は、時に税金の無駄遣いを引き起こす。我々一般市民には何の利益もなくても、その無駄遣いは一部の人々を潤している。この現状は果たして一政治家の責任だろうか?
 答えはもちろん”ノー”である。税金の無駄な投入によって利益を得る人々が当然存在するわけで、これまでの選挙は、一部の既得権を持つ人々が自分たちの要望を満たしてもらうため、必死に選挙活動を繰り広げてきた。

 そんな中、特定の利権とは縁遠いところに位置する一般の市民はというと、政治不信や誰がやっても同じという諦めからか、投票に参加しない人々が多かった。その傾向は若年層や、一般のサラリーマンの間で特に顕著である。
 しかしこの現状こそが利益誘導政治を横行させ、結果市民を軽視した政治へとつながっているのである。サラリーマンが増税の標的になりやすいのは、彼らの投票率が低いからだという指摘もある。確かに大きな支持母体となっている既得権を持つ人々の不満となるような政治よりも、政治的影響力の少ない(票に結びつかない)サラリーマンを狙う方が落選のリスクは少ない。

 繰り返しとなるが利益誘導型の政治家を支えているのは、既得権益を持った人々である。市民にとっては無駄な公共事業であれ、彼らの利益にかなう政治を行う事が、彼らを当選へと導いている。
 極端に言えば、無駄な公共事業を削減し、彼らの利益を損なうような政治を行えば、彼らは落選して職を失う事となりかねない。

 一方で、市民の利権とはいったい何であろうか?様々なものが考えられるが、直接生活に結びつくもので言えば、やはり福祉に代表される行政サービスを充実して受けられるという事であろう。
 それを実現させるには市民の利益を守るという立場、支持母体が一般の市民である政治家を国政へと送り出すしかない。彼らが一般の市民を支持母体とする以上、彼らは市民をおろそかにした政治を行う事はできない。もし市民を裏切るような政治を行えば、間違いなく市民の票を失い彼らは落選をしてしまうからだ。

 そんな対立候補がいないからしょうがないと言う人もいるだろう。しかし100%完璧な政治家など存在しない。10%と15%の候補しかいないとしても棄権という手段を取らず、どちらも不満ではあるが少しでもマシだと思える方へと投票するべきだ。
 そして現実には、市民のため、汗を流して職務に当たっている議員たちも存在する。政治的無関心による安易な棄権は、そういう彼らの努力を無駄にして見殺しにする事となりはしないだろうか。

 社会保険庁の年金の無駄遣いは、東京7区選出の長妻昭前衆議院議員の努力により国会という場に問題を提起した。その結果彼は市民の支持を獲得し、前回の衆議院選挙では無事二期目の当選を果たした。自民・民主を問わず、そういう政治家を市民の手で国政へと送り出す。それが市民軽視の政治が行われている現状を改善する事につながって行くのだ。
 我々の利権を守ってくれる政治家は誰か、そう言う視点で今回の選挙にのぞんでみても面白いかもしれない。
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# by karatsuzine | 2005-09-06 00:21 | 政治

二つの改革

 衆議院選挙の投票日が近づいてきた。二大政党制という観点から今回の選挙の意味を考えると、自民・民主がそれぞれ示している改革路線のどちらを支持するかというところにあると思う。
 そこで両党の路線と問題点を再確認してみたい。政権与党である自民党については、その実績についても触れるので多少分量が多くなる。

 まず与党である自由民主党の案についてだが、改革路線の重点は郵政民営化にあるという立場を基本としている。
 郵政民営化による効果の一方で、我々は成果のあまり上がっていない分野についても注意しなければならない。年金制度の見直しや、地方分権の促進を目的とした三位一体の改革、そして財政再建。取っ替え引っ替え話題には上ったりはしたが、ここでは残念ながらこれといった成果を上げ切れていない。今回の選挙に当たっても総論ばかりが目立ち、今のところ具体的なビジョンは示されていない。
 年金制度に関しては制度の一元化、議員年金制度の廃止について将来実現するという程度で、時期に関しては具体的にはほとんど触れていない。会見においてもこれから議論するといった感じで、事実上先送りの姿勢を取っている。将来問題となる年金財源についてもほとんど触れられていない。
 地方分権に関する三位一体の改革においては、補助金削減のみが優先されて行われており、地方の自立に欠かせない交付税を始めとする財源の移譲はほとんど進んでいない。
 財政再建の分野においても、税金の無駄遣いが指摘される公共事業・特殊法人・公益法人等での歳出抑制は小規模にとどまっている。その一方で社会保障分野での歳出カットは着実に行われている。

 事実、官の無駄遣いの資金ルートを遮断するという意味で、郵政改革は非常に重要である事は間違いない。しかし数ある改革分野の中の一つでしかない郵政民営化だけを行うという事では、もちろん不十分なのである。郵政民営化だけを前面に押し出して、そのほかの部分は具体的には殆ど触れないといった姿勢では、他の分野の改革については興味、もしくはやる気がないのではないかと疑われても仕方がない。
 新聞広告では郵政民営化が為される事により、これらの問題も全て解決するといったような多少乱暴だと感じられる図式も示されている。確かに郵政民営化はこれらの問題に多少影響を与えはするが、最終的に改革を進めるのはそれぞれの法案である。
 
 これでは郵政民営化は”改革の本丸”というよりは、他の分野で遅々として進まない改革の穴埋めを目的とした、いわば”改革の最後の砦”という印象をぬぐう事はできない。
 そして首相の改革の方向性だけを総論として示し、各論は官僚に丸投げという姿勢は副作用として官の肥大化を引き起こしている。官僚の天下り先となっている場合が多い特殊法人・公益法人の改革が、官僚に政策を丸投げしている中でドラスティックに進んでいくとは考えにくいし、事実この分野の改革はほとんど進んでいない。社会保障削減もほとんどが官僚によって作成されたものである。

 一方、もう一つの改革路線を取る民主党の案であるが、マニフェストを見る限りでは目標の日程・数値など具体的に記してあり、与党の案よりも一歩踏み込んでいる印象がある。
 年金制度の一元化、議員年金の廃止を明記しているだけでなく、財源についても年金目的税としての消費税の導入など、年金制度のあり方についてある一定の具体的なビジョンを示している。
 地方分権においては、自治体の裁量で自由に使える交付金だけでなく、行政上の権限も徐々に移譲するといった財政以外の面での分権に関してもしっかりと触れている。
 財政再建においても、3年間で10兆円の歳出カットを筆頭に、国債発行額を30兆円に抑えるという具体的期間・数値が示されている。

 そして肝心の郵政改革においては、預金量の上限を引き落とし、資金自体を減らすという姿勢を取っている。これは資金の出口を縮小させる効果も十分に期待できる。そして膨大な資金を抱えさせたまま民間にその資金を移すよりも、私はむしろ着実であるのではと思う。

 民主党の改革案は様々な分野で具体的に記されており、一般論に終始した印象が強い自民党の案よりも改革への姿勢を鮮明にしている感がある。しかし野党という立場である以上、現在の責任政党である自民党の案と比較して単純に優れているという事はもちろんできない。問題となるのはその実行性である。
 しかし実行性はともかく、改革案に関して具体的なビジョンを公約として明記している姿勢は評価に値する。仮に政権を取ってそれが実行できなかったとしても、単純な話国民を欺いた政党として政権から転落するだけである。政治的空白を懸念する人もいるが、財政改革が急務とされている今、改革の停滞は政治的空白と同等なのではないかと私は思う。

 二つの改革路線。どちらが国民に選ばれるかは9月11日に明らかとなる。
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# by karatsuzine | 2005-09-04 02:14 | 政治

CAST
大沢たかお(野崎陽一郎)、柄本明(鳥越)、牧瀬里穂(ケイコ)
監督・西谷真一、脚本・奥寺佐渡子

STORY
 野崎は、東京の何でもない営業マン。少し前に彼女と別れたばかりだ。いつものように仕事を終えて帰る途中、彼は突然目眩を起こし自転車ごと倒れ込んでしまう。病院で受けた宣告は、脳の動脈瘤。手術をしないと命が助からないし、成功しても記憶を失ってしまう可能性があるいうことだった。
 「記憶を失うという事は、今の自分の死を意味するのではないか。」失意と恐怖の中、仕事を辞め無為に日々を過ごす彼に、不思議なアルバイトの話が舞い込んでくる。初老の弁護士、鳥越と鹿児島まで一緒に旅をしてほしいというものだ。理由もロクに聞かず、彼はその仕事を引き受ける事にした。
 鳥越はかつての妻ケイコの顔を、思い出せなくなっていた。それを何とか思い出そうと、新婚旅行と同じコースを車で辿る計画を立てていた。鹿児島のホスピスで亡くなった彼女の遺品を受け取るためだけに、東京都心の国道1号線から国道3号線の果て指宿まで。一週間に渡る男二人だけの、奇妙な旅が今始まった。

※以下ネタばれ注意!※

REVIEW
 誰もが胸の中に抱える、青春の記憶。旅の途中、断片的によみがえるその風景は、何よりも色鮮やかで、圧倒的な存在感を持って輝きまくっていた。力強く萌ゆる緑、鮮烈な原色の洋服、はちきれそうな彼女の笑顔。
 人生がまだ彼のものであった頃の、かけがえのない記憶。そのノスタルジィは、彼一人だけのものではなく、失われた人間の時代、感性の時代へも向けられていたように感じる。
 見えない明日に向かって、誰もが自分の人生を切り拓いていた70年代。希望の女神が、いつも側で笑いかけてくれていた少年の夏。それより意味のあるものに、僕らはどれだけ出会ってきたのだろう?
 雨宿りしている無人駅で、鳥越が野崎に語りかける。「愛する人を見つけたら決して離してはいけない。離すとその人は誰よりも遠くに行ってしまう。」
 それは失われた青春を求めて、彷徨い続けた一人の男の言葉であった。

 現実の車窓からは、ブルーの背景を背にシステムの一部の如く、規則的に動く通行人たちが次々と通り過ぎて行く。駆け落ちした二人のささやかな結婚式を挙げてくれた、砂風呂のおじいさんおばあさんたちはもういない。詐欺師まがいのテキ屋のお兄さん、市場で賑わう人々。色々なものが消えてしまった。
 冷たいビルの群れ。見えない太陽。レールが完璧に敷かれてしまった現実の中で、黙々と生活が営まれていく現代。食事、睡眠、セックス。人間の動物的欲求の象徴であるそれらさえも、決まり切った形の中でただ繰り返されてゆく。

 大袈裟な出来事もなく、淡々と進んでゆく二人の旅。ラストシーンでは、ケイコの育てたわすれな草を前にして、それまで寡黙だった鳥越が絶叫して嗚咽する。Forget-me-not、私を忘れないでという花言葉に、「私だってそうしたかったんだ…」、と。冷静さの中に埋もれていた生の感情を取りもどした鳥越の、叫びだけがこだまする。そんな彼を前にしても、花はひっそりと咲き続けていた。

 人生のフロンティアの喪失。そう呼んでも良い現代の喪失感を、青春の喪失と重ねて表現していた一本の映画。未来ではなく、失われた過去へと続く異色のロード・ムービー。
 僕たちの心の中に咲く一輪の花。寄り添い合った恋人の親しげな笑顔は、変わってしまった現実に埋もれてしまう事はあっても、決して枯れる事なく咲き続ている。
 その花を胸に挿し、僕たちはその先に一体何を見つければ良いのだろうか?
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# by karatsuzine | 2005-07-24 03:47 | 映画評論
 近年新聞等で、サマータイム制に関する論議をよく目にするようになった。サマータイム制とは、夏期の間だけ時計の針を一時間進め、日照時間を有効に活用しようという制度である。元々は冬の日照時間の少ない北欧等、高緯度の地域で始まった制度であり、欧米ではその時間を余暇に充てる等、すっかりと定着している制度だ。
 日本では、サマータイム制度推進議員連盟を中心として制度の導入が図られているが、郵政民営化法案の審議に大幅な期間を要している事も影響して、未だ法案提出さえ行われていない状況だ。しかしこの制度について、勤労者を中心に消極的な人々が多いように思われる。考えられる原因を以下にいくつか挙げてみる事にする。

 第一に考えられるのが、時計の針を進める作業の繁雑さを嫌うというものだ。身近なところでは、ビデオ等の家電機器の時刻を合わせるという事から、信号機等の時刻をずらす作業に掛かる費用まで、労力、費用両面でのデメリットを懸念するというものである。
 そして次に考えられるのが(これが一番大きな理由であると考えられるが)、そのようなデメリットに比して、得られるメリットが少ないという点である。

 私自身サマータイム制実施下のアメリカへ、学生時代留学していた経験がある。その経験から少しサマータイム制のメリットについて述べてみたいと思う。
 夏が来ると同じ寮に住むアメリカ人が、嬉しそうに時計の針を進めていた光景がまだ目に残っている。寮の時計も、職員がべらべら喋りながらはしごに登り時刻を合わせていた。年に二回の恒例行事といった感があるので、そこまで面倒という雰囲気は感じられなかった。
 講義が終わった後、友人とキャンパスにあるテニスコートへ出かけてゆき、午後9時くらいまでスポーツを楽しんでいた。そして帰宅し、ビッフェで軽く食事を取る頃にようやく日が暮れてくるといった感じであった。そしてその後は翌日の講義の準備を軽く行って、眠りにつくという感じである。体を思い切り動かした後なので、よく眠れていた記憶がある。
 普通であれば、テレビを見たり何なりしていた時間だ。その時間を野外での余暇活動に充てていると考えれば、全く時間をロスしているという感覚は無かった。

 感覚的には、海外旅行に行った際時差を合わせるという感じで、一旦時間をずらした後はその時間で体のリズムはしっかりと動き始めていた。日照時間の変化も、東京から九州へと移り住むようなものであまり気になる事はなかった(実際東京と九州では、1時間弱の日照時間の差がある)。実際サマータイムに突入した後、体の不調を訴えた人がいたという話はとりあえず聞いていない。
 このように、私のサマータイム制に関する印象は、かなり良いものであったのだが、日本で実施された際、同じような感想を持つであろうというと、必ずしもそうではないように思える。

 まず問題となるのが、例に述べたテニスをやるにしても、余暇活動を行うインフラが十分には整備されていないと言う事だ。地方ならともかく、都心においてテニスをやろうと考えれば、ある程度の金額を払ってテニスコートを借りなければならないし、場合によっては予約を行ったり、会員に入会しなければならない事もある。気軽に誰でも使えるテニスコートなど、しかも徒歩や自転車で行けるような街中にあるものを探すとなるとかなり難しい。
 そしてもう一つの問題は、地域コミュニティがしっかりと形成されていないという事だ。長い日照時間を利用して地域活動を行うと言った事も、現状では殆ど考えられないであろう。
 つまりは日照時間が増えたところで、何をやれば良いのかが、イマイチ分らないと言ったところではないだろうか。実際私もいざサマータイム制導入となると、何をしようか考えてしまう。

 そして最も懸念されているのが、日照時間に比例して残業時間も増加してしまうのではないかというものである。政府もサマータイム制導入に当たって、そのようなケースが起こらないよう指導をしていくという方針を示しているが、先進国中で年間労働時間数がダントツで多い日本において、これが守られて行くとは残念ながら思えない。制度の導入によって余暇時間が制限されてしまうとなれば、本末転倒である。

 以上から考えられるのは、サマータイム制導入の是非以前に、日本における余暇活動の意識・インフラを充実させる事の方が先決であると言う事だ。余暇活動を充実させるという目的を持った制度でも、それを生かす環境が無ければただの煩わしい作業に過ぎないという事になる。
 サマータイム制に消極的な意見が多いのも、サマータイム制自体よりそちらの問題が懸念されているように感じられてならない。
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# by karatsuzine | 2005-07-08 16:38 | 政治

障害者自立支援法案

 現在国会で審議されている法案の中に、「障害者自立支援法案」(厚生労働省HP)というものがある。4月26日に衆議院審議入りしたこの法案に対して、障害者団体等、各方面から批判の声が挙がっている。一体これはどういった法案なのだろうか。

 障害者の支援を目的とした現行の制度(法律)は、大きく分けて3つ存在する。
 現存する疾患が将来障害を残すと認められる児童を対象とした、「育成医療制度」(児童福祉法)。
 身体障害者を対象とした、「更正医療制度」(身体障害者福祉法)。
 そして、精神障害者を対象とした、「精神通院公費制度」(精神保健福祉法)である。
 障害者自立支援法案では、この3つの現行制度を一本化して効率化させる事、そして障害者の地域での就業等自立を支援していく事などを目的として、審議が進められている。その理念自体にはさほど問題は感じられないし、むしろ好ましいことであると思う。では、一体何が問題なのであろうか?

 この法案は上に述べたように文字通り、障害者の自立を支援するといった目的を持っている。しかしその一方で、現在の給付制度を見直すという側面も持っている。
 それは国・地方が負担する給付額を削減する、つまりは増大する国・地方の医療費支出を削減するという目的も、持っているという事だ。
 具体的には、所得にかかわらず患者の負担を一割に統一するという事であり、ここが一番の問題となっているのだ。

 精神通院公費制度を例に挙げると、精神疾患を抱えた患者は、5%の負担で現在は通院する事ができる。俗に言う「32条」というものだ。殆どの場合就業が困難である精神障害者にとっては、一割の負担であってもその意味は大きい。
 特に鬱病においては、通院を通じた適切な治療により、ある程度その症状が軽減される、もしくは症状の悪化を抑えられるという事実がある。鬱病は極めて自殺率の高い疾患であり、治療の重要性は命に関わる場合も多い。
 医療費の負担増は、収入の無い、もしくは少ない患者の足を病院から遠のかせる事となりかねず、それが原因で症状が悪化し、社会復帰が遅れてしまうというケースも引き起こしかねない。そういった形でやむを得ず失業してしまう人が増加する事は、国にとっても好ましくはないのは明らかである。
 精神障害を抱えた患者は、施設に入居している重度の患者でも企業で働きたいという意欲を持っている人が多い。前述の厚労省資料においても、その割合は66.5%と高い。在宅の精神障害者においても、同様に多くの人が社会復帰を望んでいると考えられる。これらの患者の治療を、費用という側面で妨げてしまう事を行うべきではないと思う。

 育成医療制度の分野でも、負担増の影響は深刻である。心臓病においては、手術において数百万円と、莫大な金額がかかる。しかも継続して手術、通院を繰り返さなければならないという場合が多い。そうなると、一割の負担であっても、月々数十万の費用がかかる事となる。
 このような育成医療制度での負担増は、子供を出産する事に対するリスクを増大させ、少子化の流れを加速させる事ともなりかねない。そしてそれよりも、高額な医療費を原因として、命が失われてしまう場合が増加する危険性も十分考えられるのだ。

 高齢者の医療費負担増に始まり、サラリーマンの3割負担への引き上げ等、遅々として進まない財政支出抑制の陰で、着々と我々国民の医療費負担は増大しつつある。
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# by karatsuzine | 2005-07-04 18:16 | 政治

続く民主の審議拒否

 郵政民営化法案が審議入りした。今国会中の成立を巡って世論の間でも是非の分かれるこの法案は、民業圧迫となるのではないか、効率化が徹底されるのか、肥大化を助長するのではないか、等の批判があり、今国会中の成立にこだわらずもっと議論を尽くすべきだという意見が世論調査を含め大勢を占めている。
 特定郵便局を支持基盤とする自民党反対派の圧力に押されて、法案成立のため妥協を繰り返す事が行われれば、官の無駄を省き資金の流れを適正化するという民営化本来の目的からは、どんどん遠ざかる事となる。

 この法案について「欠陥法案」と批判を強める民主党であるが、自民党の非協力的な態度を不服として、審議初日から社民党と連動して審議拒否を行っており、5月30日現在まだ議場には姿を見せていない。

 そもそも民主党は郵政民営化に対してどのような姿勢でいるかについては、民主党のウェブページに載っている文書(民主党の「郵政改革についての考え方」について)から読み取れるように、「官」と「民」の中間である公社という現状を維持しつつ効率化を進め、その中で将来郵政事業がどうあるべきかを議論していくというものである。
 この文書に限って言えば、民営化は郵政改革の選択肢の一つであり民営化自体には反対ではないが、現在のような議論を尽くさないままの民営化には反対だという論調が目立つ。よって民営化する場合の具体的なビジョンについては、ここではほとんど触れられていないし、独自の民営化論についてもまだまだ意見がまとまっていないという印象が拭えない。

 話を民主党の審議拒否に戻すと、政党にとって持論を披露する場というものは、あくまで国会である。街頭やウェブページはあくまでもそれを補完するものであり、与党の政策を追求する場合は国会でそれを行うというのが原則であり、国会議員としての義務である。与党の非協力的な態度が不満であれば、それも国会で追及するべきである。このような状況では、国会で与党を追及するだけの意見がまとまっていないのでは、という印象を持たれてもおかしくない。

 もちろん年金改革法案の時見られたような、審議をあまり行わず強引に法案を通そうとする手法は好ましいものではない。最終的には数がものをいうというのが政党政治ではあるが、だからといって議論を飛ばしても構わないという考え方(そう受け取られてもおかしくない姿勢)は、優れた法案を送り出すという観点からは遠く離れており、危険なものだ。
 しかしだからといって与党の改革案が欠陥だから、審議に対する態度が非協力的だからと言う理由で、審議も行われていない段階から審議をボイコットをするというやり方は、どう考えても理屈が通らない。

 自民党は民主党に対し、「かつての社会党と同じ」「何でも反対」といったネガティブキャンペーンを行っている。そう言わせる論拠を自ら提供し、その枠にはまった行動を行うと言う事は、政権獲得を目指す党のやることではない。現実味を帯びてきた二大政党制の一翼を担う党として、一刻も早い審議復帰を望みたい。
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# by karatsuzine | 2005-05-31 00:10 | 政治
 連日報道されている通り、中国の呉副首相が「緊急の公務」を理由に、小泉首相との会談を直前になって中止し帰国した。政府首脳は各種報道を通じて、次々と「マナー以前の問題」「わびの一言があってもいい」等、怒りを交えたコメントを発表し、帰国の理由を明確にするよう中国政府に求めていた。一方中国側は一夜明けた24日の定例記者会見で、今回の会談中止の原因は、靖国神社の問題がその原因である事を明らかにした。

 この一連の中国の動きには、色々と推測が為されているようだが、主に二つの理由が考えられる。一つは中国での反日デモの影響を考慮したというもので、もう一つは今年も靖国神社への参拝をすることが予想される小泉首相の行動に釘をさすというものだ。
 しかし自らが提案した会談を、よりによって当日にキャンセルするという手法は、相手に与える影響よりむしろ自分に対するダメージの方が大きい事は、中国側も勿論承知のはずである。よって、後者の理由は少し考えにくいように思われる。

 そうなると、やはり反日デモにからむ中国側の事情という理由が有力となるのではないか。爆発的に広がった反日デモも、中国当局が押さえ込む事により、現在は沈静化している。しかしあくまでそれは「統制」によるものであり、デモ参加者の人々の不満が消えたわけではない。加えてここ最近では武部幹事長の「内政干渉」発言もあり、それが中国国内で報道されていれば、デモ参加者たちの不満は高まり続けている事が予想される。

 そんな中での小泉首相との会談である。中国政府は立場上、断固とした姿勢で日本政府に対し、歴史問題の解決に向けたコメントを引き出さなければならない状況にあったが、国会での答弁を聞く限りその望みも薄そうであった。
 靖国問題を始めとする歴史問題が相変わらずの平行線に終わったとすれば、彼らの不満はますます高まるであろう。しかしデモは当局が厳しく禁止しているので、その不満をはき出す事もできない。そうなると日本に対して弱腰だといった、不満の矛先が中国政府自身に向かうという事態にもなりかねない。これは中国政府が最も恐れていることである。

 そのような状況では、会談中止の責任は日本政府にあるという、中国国民に向けた「正当な理由」を作りだし、会談を行わないという苦しい選択を行わざるを得なかったのではないか。
 今回中国がこの様な手段に出たという事は、反日デモに対する手詰まり感の表れだったのではないだろうか。
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# by karatsuzine | 2005-05-25 18:16 | 国際

橋梁談合

 このニュースを見てショックを受けた人が、果たしてどれぐらいいるのだろうか。建設業界で働く人だけでなく、一般のサラリーマン、学生、主婦にとっても、「何をいまさら」という感が強いのではないか。それほど「談合」と言う習慣は、日本の社会に深く浸透している。
 公共事業は社会基盤の整備だけでなく、事業者の「救済」という面を持っている事を、敢えて否定するつもりはない。産業の保護・育成、そして雇用のための「救済」が必要となる場合ももちろんある。しかしこの事件は「救済」という建前を上手く利用して行われている、詐欺のようなものだと言うと、少し言いすぎであろうか。

 加えて、事業者同士が円滑に談合が行われるよう、取り決めを交わしていたことも明らかになっている。当人たちは「互助の精神」、「秘密厳守」という原則の下、徹底的に社員に教育を行っていたようであるが、これが「互助」とは、履き違えも甚だしい。「互助」とは文字通り互いに助け合う事であるが、このような犯罪においては「共犯」という言葉を使う方が適切なのではないか。
 コストを下げる事も、受注額の下落を招くという事で、敬遠されていたようだ。つまりはその業界でやっていくためには、共犯者にならざるを得ないということである。あくまで推測なのではっきりとは言えないが、そこから「造反」した者は、その業界でやっていくことは厳しくなっていくのであろう。これではどこかにはいるであろう、良識を持った事業者の方々が気の毒になる。

 談合は、何も土建屋だけの話ではない。一つ例を挙げると、政策研究を行うシンクタンクでもこの様な現状は見られるのだ。地方自治体が政策提案書を発注する場合、名目上は各研究所に各々レポートを出してもらい、そこから優れた案を選出し、落札するという形を取っている。
 しかし実態では、つきあいの長いところへ優先的に発注を行うなど、競争からはほど遠いところでこの業界も動いているのだ。しかもそのレポートが実際に十分に活用されているとは言えない事も珍しくないというのが、現在の状況である。
 そして受注者が地方自治体である以上、もちろんその金の出所は国民の税金である。

 今回の事件で考えさせられたのは、仕事が無くなるのを恐れて徒党を組み、業界の中での自分の立場を守っていくような後ろ向きな考え方から、いい加減脱却すべきだと言う事だ。競争の中へ飛び込んで、よりよい商品をつくり落札を勝ち取るんだという姿勢の中にこそ、自由競争の価値と、利点があるのではないか。
 堕落した互助の精神による税金の無駄遣いは、もういい加減やめにしてほしい。コスト高の穴埋めは、神の施しや金のなる木なんかじゃなく、税金で賄われ続けてきたのであるから。そしてそのツケは、我々に重くのしかかってくるのである。
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# by karatsuzine | 2005-05-24 22:55 | 社会